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■ 「義仲・巴」ラジオ紀行  2019年7月放送 ■


#14「富山県富山市」【2019.7.2放送】

平安時代末期に活躍した武将、今井兼平。
巴御前の兄であったと伝えられ、また木曾義仲の重臣「義仲四天王」の一人として
義仲終焉の地、現在の滋賀県大津市で繰り広げられた「粟津原の戦い」において、
義仲とともに壮絶な最期を遂げたことでも知られています。
今回は、この今井兼平の足跡が残る富山市の「白鳥城跡」をご紹介します。
呉羽丘陵の最高峰に位置する白鳥城跡。
城の歴史は、打倒平家のため、京の都を目指して越中を進軍する、
今井兼平率いる義仲軍がこの地に陣を張ったことが最初といわれています。
その後も、この城について書かれた多くの文献が残されていますが、
なかでも豊臣秀吉が富山城の佐々成政を攻めるにあたり、
この地に陣を構えたことは、よく知られているところです。
現在は、富山市中心部の市街地を眼下に、
四季折々の立山連峰を眺めることができる人気の展望スポットとして、
歴史ファンはもとより、多くの人が訪れています。
また、富山市では、富山城址公園内にある「市郷土博物館」において、
現在、「描かれた富山ゆかりの武将たち」と題した企画展を開催中です。
今井兼平についても紹介されています。
会期は7月7日(日曜日)まで。ぜひ、お出かけください。

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#15「富山県小矢部市」【2019.7.9放送】

義仲の生涯で、最大の戦いとして語り継がれる「倶利伽羅峠の戦い」。
戦いの舞台となった小矢部市では、今月27日 土曜日に
「メルヘンおやべ 源平火牛まつり」が開催されます。
祭りの一番の見どころは、何といっても「義仲・火牛の計レース」。
平安時代末期、源氏方の武将 木曾義仲が「倶利伽羅峠の戦い」において
平家の大軍を撃ち破った際に用いた奇襲作戦「火牛の計」にちなんだレースです。
わらで作られ、角にたいまつを灯した、重さおよそ700キロにも及ぶ大きな火牛を、
4人1組のチームにより、往復150メートルのコースを疾走するタイムレース。
その姿は、まさに勇壮豪快、迫力満点です。コースの途中には障害物があったり、
槍で3枚の楯を「当たり」が出るまで倒すといったアトラクションもあったりと、
速さはもちろん、運も味方につけないと勝利をつかむことはできません。
また、会場のステージでは、太鼓の演奏や踊りが披露されるほか、豪華景品がもらえる
「じゃんけん大会」、さらには、小矢部の食材を使ったグルメが楽しめる屋台村もあります。
「火牛の計」をモチーフにした、日本で唯一、魅力あふれるお祭りです。
皆さんのお越しをお待ちしています。

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#16「石川県小松市」【2019.7.16放送】

石川県西南部に広がる豊かな加賀平野の中央に位置する小松市。
北西部に日本海、東には霊峰・白山を望み、豊かな自然に包まれています。
ここ小松市の多太(ただ)神社には、
源平の戦いにまつわる悲劇の物語が残されています。
倶利伽羅峠で勝利し、海岸沿いの北陸道をのぼり京へ進む義仲軍は、
南加賀の地でふたたび平家軍との合戦「篠原の戦い」に臨みます。
義仲、幼名「駒王丸」が2歳のとき、平家方の武将 斎藤実盛は、
敵方でありながら、まだ幼い駒王丸を不憫に思い、
母 小枝御前とともに信濃国(しなののくに)に逃した、命の恩人でした。
「篠原の戦い」において、図らずも実盛を討ち取ることになった義仲は、
その首を抱きかかえ、人目もはばからず涙したといわれています。
多太神社には、義仲が恩人 実盛の供養のため奉納したものとされる兜や袖、
臑当が安置され、現在も国指定の重要文化財として保存されています。
また、江戸時代、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅のなかでこの地を訪れ、
実盛を偲び、「むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす」という
句を詠んだことでも知られています。
毎年7月、今年は28日に開催される「かぶとまつり」では、
拝殿において能「実盛」が演じられ、この悲劇の物語が伝統芸能とともに受け継がれています。

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#17「富山県小矢部市」【2019.7.23放送】

小矢部市の「あいの風とやま鉄道」 石動駅から
南西に2キロほどにある「埴生(はにゅう)護国八幡宮」。
義仲が倶利伽羅峠の戦いに先立ち、戦勝を祈願したと伝えられ、
また、後に多くの戦国武将たちが信仰したとされるこの神社は、
必勝祈願のパワースポットとして知られています。
社名の「護国」は、江戸時代、加賀藩前田家が越中を治めていた頃につけられ、
義仲が訪れた平安末期には「埴生八幡宮」と呼ばれていました。
西暦1183年、寿永2年の5月11日、義仲は埴生八幡宮において、
大夫坊覚明(たいふぼう かくめい)にしたためさせた戦勝祈願文と
上刺しの鏑矢(かぶらや)13本を奉納します。
この日は小雨が降っていましたが、戦勝祈願文を奉納すると、
途端に上空は晴れ渡り、白い鳩が舞い降りて、源氏の白旗のうえを飛び回ります。
その様子を見た義仲は、「この戦、勝ちに間違いない!」と、
兵たちの士気を大いに鼓舞したといわれています。
また、戦勝祈願文には、自らの立身出世のためでなく、
国を正したいという清らかな思いが記されており、
義仲の高い志をうかがい知ることができます。
現在、埴生護国八幡宮は、勝負運アップのパワースポットとして、
また義仲と巴御前のラブロマンスにちなんで、
恋愛成就のパワースポットとして、多くの方が訪れています。

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#18「滋賀県高島市」【2019.7.30放送】

滋賀県北西部、琵琶湖の西側に位置する高島市。
この地域は、古くから京都、奈良の都と北陸を結ぶ交通の要衝として栄えてきました。
JRマキノ駅から徒歩30分ほどのところに、山吹御前ゆかりの寺、
「願慶寺(がんきょうじ)」があります。
山吹御前とは、義仲が打倒平家のため、信濃国で挙兵し、
京を目指した際、巴御前、葵御前と同じく、
義仲と行動を共にした武勇に優れた女性であったといわれています。
願慶寺では、義仲亡き後、山吹御前がこの地に移り住み、
越後に逃れる途中、この寺を訪れた親鸞聖人の教えを聞き、
出家して尼となったと伝えられています。
現在も寺の境内には、山吹御前ゆかりの老紅梅(ろうこうばい)が残され、
毎年、梅の花を咲かせています。
また、この辺りの山中集落には、巴御前の家臣たちが
住んでいたという言い伝えもあり、関わりの深さがうかがえます。
そのほか、この地区の海津大崎の少し手前の湖岸には、
「義経の隠れ岩」という伝承があります。
高さ1.7メートル、幅2メートルほどの、
かがんで人が隠れることができるくらいの穴があいた岩で、
義仲のいとこ、源義経が兄 頼朝に追われ、奥州平泉に逃れるとき、
この岩に身を隠したといわれおり、その様子は、
義経の謡曲「安宅(あたか)」の一節でも謡われています。