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2019年10月に御紹介した情報はコチラをチェック
■ 「義仲・巴」ラジオ紀行  2019年10月放送 ■


#27「富山県」【2019.10.1放送】

富山県では、平成19年の富山・長野 両県知事の懇談を契機として、
木曾義仲と巴御前をテーマとした広域観光の振興や地域の活性化、
ふるさと教育、さらには大河ドラマ化の実現に向けて、
これまで様々な取組みを行ってきました。
平成21年に設置した「義仲・巴」広域連携推進会議は、
県内の小矢部市、南砺市、朝日町をはじめとした「ゆかりの地」をもつ
7市、2町に加えて、長野、石川、埼玉、滋賀、神奈川の各自治体を
あわせて、現在、6県、35市町村で活動を展開しており、
今年で11年目を迎えます。
この間、県では、この推進会議や民間団体の皆さんと連携し、
マンガ本やゆかりの地を紹介するPR動画の制作、
史跡を訪ねるバスツアーの実施、歴史雑誌等への特集記事の掲載、
さらには「義仲・巴」の足跡を時系列でまとめた出典付年表の作成
などを通して、全国に向けた情報発信に努めてきました。
今年は、この番組「義仲・巴」ラジオ紀行の放送に加えて、
今月20日、日曜日の午前10時から、「義仲・巴」顕彰記念講演会を開催します。
講師は、東京大学史料編纂所教授で、歴史学者としてもご活躍の
本郷和人先生です。申込み、お問合せは富山県企画調整室まで。
是非ご来場ください。

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#28「富山県南砺市」【2019.10.8放送】

南砺市福光の「巴塚公園」。
ここには、巴御前の遺言により植えられ、
樹齢750年以上と伝わる「巴塚の松」が今も枝を伸ばしています。
巴御前は信濃国、現在の長野県で、
義仲の養父となる中原兼遠の娘として生まれ、豊かな自然環境のもと、
義仲とともに育てられました。
打倒平家のため旗挙げした義仲軍の中にあって、
美しさに強さを兼ね備えた武将として「倶利伽羅峠の戦い」を
はじめとする数々の戦いにおいて活躍します。
しかし、義仲最期の戦いとなった、現在の滋賀県大津市
「粟津原(あわづがはら)の戦い」において、義仲に強く諭されて信濃に落ち延びた後、
鎌倉の和田義盛(わだよしもり)に嫁ぐことになります。
義盛亡き後には、かつて倶利伽羅峠で共に戦った石黒光弘を頼って福光の地を訪れ、
戦で亡くなった仲間たちの菩提を弔いながら、91歳の生涯を終えたとされています。
「巴塚公園」では、毎年、巴の命日とされる10月に、
その功績をしのぶ法要が営まれ、全国の「義仲・巴ゆかりの地」の人々が集い、交流を深めています。
20回目の節目となる今年の開催は今月19日の土曜日。
翌20日の日曜日には、東京大学史料編纂所教授の本郷和人先生による
記念講演会も開催されます。

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#29「富山県射水市」【2019.10.15放送】

射水市新湊地区。
古くから人口と産業の集積地として栄えたこの地区は、
富山県内最古の都市といわれています。
また、富山湾沿いを通る「越中浜往来(はまおうらい)」は、
中世の頃から交通の要衝として多くの人々が行き交い、
越中国守であった万葉の歌人・大伴家持が旅をしたことでも知られています。
源平合戦の様子が描かれた「源平盛衰記(じょうすいき)」によると、
打倒平家のため越中に入った義仲軍本隊は、北陸街道を突き進み、
現在の射水市庄西町(しょうせいまち)あたりに位置する六渡寺(ろくどうじ)に着陣します。
5万余りに及ぶ本隊は、この地で陣を立て直した後、般若野の戦いに勝利した、
今井兼平率いる6千の先遣隊と合流し、義仲最大の合戦の地、
倶利伽羅峠に向かったと伝えられています。
また、六渡寺には、現在の滋賀県大津市にある日吉大社の神をまつる日枝神社がありますが、
これは、平安時代後期に日本海側の流通事業に乗り出した人々により
建てられたものといわれており、当時、つくられたとされる釈迦如来像が今も安置されているほか、
現在、毎年行われている祭礼では勇壮な獅子舞が奉納されています。
今から800年以上も前、この地を訪れた義仲や巴も、
この神社で手を合わせて大願成就を祈っていたのかもしれません。

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#30「埼玉県嵐山町」【2019.10.22放送】

埼玉県嵐山町(らんざんまち)。
義仲生誕の地として知られるこの町には、その美しい景観と豊かな自然環境から、
埼玉県を代表する景勝地のひとつとされる嵐山渓谷(らんざんけいこく)があります。
「嵐山渓谷」という地名は、渓谷とその周辺の紅葉が織りなす
見事な景色が京都の嵐山(あらしやま)に大変よく似ていることに
由来があるといわれています。
また、この地にある班渓寺(はんけいじ)には、義仲の平家討伐にあたり、
巴御前とともに数多くの合戦に加わったとされる山吹姫(やまぶきひめ)の供養塔が残されています。
山吹は「平家物語」にもその名が記されていますが、一説によると、
義仲の妻、また義仲の嫡男「義高」の母であると伝えられており、
非業の死を遂げた2人の菩提を弔うため、この地に寺を開いたとされています。
また境内の裏手には、義仲、幼名「駒王丸」が
幼少期を過ごしたとされる館跡(やかたあと)も残されています。
嵐山町では、町民によって結成された「嵐山町先賢顕彰会」や、
観光ボランティアガイドによって、義仲をはじめとする
地元の偉大な先人たちの偉業を未来に引き継ぐ活動が今も続けられています。
嵐山渓谷の紅葉が美しくなるこれからの季節に、
義仲生誕の地「嵐山町」を訪れてみてはいかがでしょうか。

【 Podcastで番組を聴く 】
 
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#31「長野県長野市」【2019.10.29放送】

長野県長野市鬼無里(きなさ)地区。
「鬼の無い里」と書いて、「きなさ」と名付けられたこの地区は、
地名の由来となった鬼女(きじょ)紅葉(もみじ)伝説で知られているほか、
義仲ゆかりの伝承も数多く残されています。
一つ目は、本殿が国の重要文化財に指定されている白髯神社(しらひげじんじゃ)。
義仲が、平家打倒のため挙兵し、北陸に向けて軍を進めるにあたり、
この地で戦勝を祈願したと伝えられています。
初夏になると花菖蒲が咲き誇り、神社の脇を流れる沢ではホタル観賞が楽しめます。
美しい光を放つゲンジボタルとヘイケボタルが同時に飛び交う
”源平合戦”をみることができるかもしれません。
二つ目には、「木曽殿(きそどの)アブキ」と呼ばれる大きな岩穴。
間口が60メートル、奥行20メートルに及び、義仲がこの地を訪れた際、
この岩穴で300の騎馬を休ませたといわれています。
このほか、義仲を守護する仏、文珠菩薩像(もんじゅぼさつぞう)を祀り、
武運を祈ったとされる文珠堂(もんじゅどう)、
木曾四天王の一人である今井兼平の守護仏である日不見(ひみず)観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)を祀る、
山角(やまずみ)観音堂などもあります。
高い志をもって乱世を駆け抜けた義仲。深い谷に囲まれながら、
数多くの伝説が代々受け継がれている「鬼無里」地区で
義仲の足跡に触れてみてはいかがでしょうか。