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■ 「義仲・巴」ラジオ紀行  2020年1月放送 ■


#41「長野県上田市」【2020.1.7放送】

長野県上田市。日本のほぼ中央、長野県の東部に位置し、
北は菅平高原(すがだいらこうげん)、南は美ヶ原高原(うつくしがはらこうげん)など、
2,000メートル級の山々に囲まれた地域です。
その雄大な自然や由緒ある温泉など、豊富な観光資源に恵まれ、
四季折々の彩りは、訪れる人々を魅了しています。
平家物語の中に「木曾は依田城(よだじょう)に有りけるが……」という一節があります。
依田城は、現在の上田市丸子(まるこ)地域にあった山城で、
今も依田城跡(よだじょうあと)として残されており、
義仲がこの依田城を居城として、横田河原の戦いに向け、ここから挙兵したと伝えられています。
また、依田城周辺には、義仲の屋敷があったとされる義仲館跡(よしなか やかたあと)や、
「馬大門(うまだいもん)」と「義仲桜」で知られる
龍洞山宝蔵寺(りゅうどうざん ほうぞうじ)があります。
宝蔵寺は、地元の人々からは「岩谷堂観音(いわやどうかんのん)」という名で親しまれていますが、
義仲が、打倒平家を目指して観音様のもとに戦勝祈願に訪れた際、
正面の石段からではなく、脇参道の急坂を馬で一気に駆け上がったことから、
この参道が「馬大門」と呼ばれるようになったと伝えられています。
また、この時、義仲が馬を繋いだとされる「しだれ桜」の幼木は「義仲桜」と呼ばれおり、
樹齢800年以上となる現在でも、毎年美しい花を咲かせて人々を楽しませています。

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#42「滋賀県大津市」【2020.1.14放送】

義仲終焉の地、滋賀県大津市。琵琶湖のほとり、滋賀県の南西端に位置し、
西暦667年に天智(てんぢ)天皇が近江大津宮(おおみおおつのみや)に都を遷して以降、
1350年に及ぶ歴史を有し、ユネスコの世界文化遺産に登録された
延暦寺をはじめ多くの史跡、名勝が残されています。
この大津市には、粟津原の戦いにおいて源義経率いる頼朝軍に敗れた
義仲にまつわる お寺、「義仲寺(ぎちゅうじ)」があります。
義仲の寺と書いて「義仲寺」。
寺の名は、その境内に義仲を葬った塚があることから名付けられています。
義仲寺は、室町時代の末期、近江守護であった佐々木六角氏(ささき ろっかくし)が、
義仲の菩提を弔うために建てたものと伝えられ、
現在、門を入った左奥には、義仲の供養塔とともに、江戸時代の俳聖 松尾芭蕉の墓が並んでいます。
芭蕉の弟子、又玄(ゆうげん)が詠んだ俳句に
「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」という句があります。
芭蕉は生前、この地をたびたび訪れ、その美しい景観をこよなく愛するとともに、
義仲の、情に深く、短くも壮絶な生き様に心を奪われ、
自らが亡き後には、その身を義仲のそばに葬るよう遺言したといわれています。
義仲寺では、毎年、義仲の命日とされる1月20日に義仲を供養する法要が営まれ、
全国の義仲・巴のゆかりの地から関係者が訪れています。

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#43「富山県小矢部市」【2020.1.21放送】

富山県の西の玄関口に位置し、石川県の金沢市や津幡町と接する小矢部市。
小矢部市は、義仲が「火牛の計」を用いて平家の大軍を打ち破った
倶利伽羅源平合戦の舞台として知られており、
義仲や巴にまつわる史跡・伝承が数多く残されています。
また毎年、さまざまなイベントも開催され、
春には「源平大綱引き合戦(げんぺいおおつなひきがっせん)」や
「倶利迦羅さん八重桜まつり」、夏には「メルヘンおやべ源平火牛まつり」、
秋には「源氏太鼓」や「宮めぐりの神事」など、
1年を通して義仲・巴の魅力を県内外に向けて発信しています。
平成22年に発足した『小矢部市「義仲・巴」推進連絡会』は、
市の観光協会や自治会連合会など、市内11の団体で構成され、
小矢部市と連携しながら、観光振興や義仲・巴の大河ドラマ化実現に
向けた活動を積極的に展開しています。
なかでも、ボランティアガイドグループ「おやべメルヘンガイド」の皆さんは、
「義仲・巴ゆかりの地をめぐるコース」をはじめとする市内の名所・旧跡を案内し、
小矢部市が誇る自然や歴史、文化、食の魅力などを、訪れる多くの観光客に伝えています。
「おやべメルヘンガイド」に関するお問合せは、小矢部市商工観光課まで。ぜひご連絡ください。

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#44「長野県佐久市」【2020.1.28放送】

長野県佐久市。長野県の東端に位置し、隣接する群馬県との県境付近には、
海岸線からの距離が約115キロメートルとなる「日本で海から一番遠い地点」を有しています。
また美しい緑と豊富な清流に恵まれ、秋には「市の花」であるコスモスが咲き誇るなど、
多くの観光客で賑わうことでも知られています。
平安時代末期、平家打倒をめざして京へ進んだ義仲の傍(そば)には、
巴とともに木曾四天王と呼ばれる、強い絆で結ばれた4人の武将の姿がありました。
幼い頃から義仲とともに武芸に励んだ樋口兼光と今井兼平の兄弟、
そして根井行親(ねのい ゆきちか)、楯親忠(たて ちかただ)の親子です。
なかでも根井行親は、現在の佐久市根々井(ねねい)地区を本拠とし、
義仲の挙兵からその最期まで、兼光、兼平、息子である親忠とともに
四天王の一人として勇猛果敢に活躍しました。
行親の祈願寺とされる「正法寺(しょうほうじ)」は、寺を含めた一帯が
根井氏館跡(ねのいし やかたあと)として県の史跡に指定されており、
また境内には行親の妻が建てたといわれる行親供養塔も残されています。
このほか、兼光、兼平、親忠にゆかりがあるとされる館跡(やかたあと)なども残されており、
この地区に「義仲四天王」が勢ぞろいしていた時期があったのではないかといわれています。