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■ 「義仲・巴」ラジオ紀行  2020年2月放送 ■


#45「富山県朝日町」【2020.2.4放送】

富山県朝日町。海岸線と山間部が接近した特殊な地形をもち、
古代から、人と文化の交流の拠点として発展してきました。
朝日町には、打倒平家をかかげて京をめざす義仲軍に加わり大活躍した、
地元宮崎城の城主、宮崎太郎長康にまつわる数多くの史跡、伝承が残されています。
町の歴史研究グループ「木曽義仲・巴と宮崎太郎 あさひ塾」は、
平成22年に発足し、これまで義仲と巴、そして郷土の武将 宮崎太郎のもつ魅力の発信を通じて、
地域への愛着を育む活動に取り組んできました。
地元に伝わる文献を調査・研究し、大人から子どもまで、
広くふるさとの歴史を伝える「ものがたり 宮崎太郎」の発行のほか、
講演会の開催、また源平合戦での宮崎太郎の活躍を紹介する「紙芝居」の読み聞かせを行っています。
さらに、鎧兜に身を包んだイメージキャラクター「ヒスイ太郎」を活用して、
LINEスタンプ作成やPR活動にも努めています。
以仁王の皇子「北陸宮(ほくりくのみや)」を迎え、越中から加賀、
そして京に向かう義仲軍の拠点として重要な役割を果たした宮崎城と宮崎太郎長康。
あさひ塾の活動は10周年の節目を迎え、昨年11月には記念シンポジウムも開催するなど、
活発な「まちおこし」活動が展開されています。

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#46「石川県能美市」【2020.2.11放送】

石川県の南部、加賀平野のほぼ中央に位置する能美市。
3世紀から6世紀にかけて造られたとされる古墳群を有し、
能美丘陵からは、東に白山、西に日本海、北に手取川を一望できます。
能美市には、平家の大軍を相手に奮戦した北陸武士団ゆかりの地である
「根上の松・源平古戦場跡(ねあがりのまつ・げんぺいこせんじょうあと)」が残されています。
源平合戦の様子を描いた「源平盛衰記(じょうすいき)」によると、
西暦1183年4月、現在の福井県、越前国の燧ヶ城(ひうちがじょう)の戦いにおいて、
平維盛(これもり)率いる平家軍は、北陸の諸将、
武士団からなる源氏方の軍勢を打ち破ります。
勢いに乗り、さらに北上する平家軍に対し、
加賀武士団の井家二郎範方(いのいえ じろう のりかた)は、
現在の能美市、「根上(ねあがり)の松」の付近において、
後退する源氏方の兵士を逃すため、わずか17騎の勢力で応戦したといわれています。
範方は激戦の末、この地で討ち死にしてしまいますが、
義仲や北陸武士団の楯となる、この「決死の戦い」がなかったならば、
その後の「倶利伽羅峠の戦い」をはじめとする義仲の快進撃、
そして平家討伐は果たされなかったかもしれません。
旧の町名の由来でもあった「根上の松」。
現在も、白山を拝むことのできる名所として、
地元の皆さんの手により大切に保全、管理されています。

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#47「長野県辰野町」【2020.2.18放送】

長野県辰野町(たつのまち)。
伊那盆地の最北端に位置し、古くから県央部を結ぶ交通の要衝として発展してきました。
また、町の中央部を流れる天竜川ほとりの「松尾峡(まつおきょう)」は、
国内有数のゲンジボタルの名所として知られており、毎年多くの観光客で賑わっています。
辰野町は、背後の山々が木曽と通じており、義仲ゆかりの城や砦などが残されています。
塩尻市との境にある楡沢山(にれさわやま)には、
山頂を取り囲むように空堀や土塁の跡が残されており、
義仲の「隠れ城」であったといわれています。
また、義仲の重臣「木曾四天王」のひとりである樋口兼光は、
ここ辰野町の樋口に屋敷を構えたことから、「樋口」を名乗ったといわれています。
兼光は、幼い頃から、弟である今井兼平、そして義仲とともに
武芸に励み、打倒平家をめざして京へと進み、平家を都から追い落とします。
しかし、義仲、兼平が現在の滋賀県、近江国の粟津において討ち取られた翌日、
兼光は源義経率いる軍勢によって捕えられ、その生涯を閉じることになります。
辰野町では、兼光が過ごしたとされる館跡(やかたあと)や、
戦勝を祈願したとされる荒神社(こうじんじゃ)、
また後に子孫によって建てられたとされる兼光の墓など、
兼光の足跡に触れることができます。

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#48「石川県金沢市」【2020.2.25放送】

金沢市は石川県のほぼ中央に位置し、
江戸時代には加賀藩主 前田家のお膝元、加賀百万石の城下町として繁栄し、
現在まで、歴史的建造物や伝統工芸、食文化といった貴重な文化遺産が受け継がれています。
平安時代末期、北陸で繰り広げられた源平合戦。
木曽で挙兵した義仲は、北陸の武士団を味方につけ、平家の大軍を次々に打ち破ります。
越中の石黒氏や宮崎氏、そして加賀の林氏や富樫氏といった北陸武士団は、
義仲の「国のため、民のために、混沌とした時代に立ち上がった」高
い志に共感し、その身を投げ打って奮闘したことがうかがえます。
金沢市には、義仲が陣を構えたとされる松根城跡や堅田城跡などの
山城跡や、倶利伽羅峠の戦いに勝利した義仲軍が、
敗走する平家軍を追って陣を構えたとされる平岡野(ひらおかの)神社が残されています。
また、追われる平家軍が陣を構えたとされる犀川河口付近にある
大野湊神社の旧拝殿には、市の文化財に指定されている
幅14メートルに及ぶ「源平合戦大絵馬」が飾られています。
この大絵馬は、江戸時代、加賀藩の絵師によって作られたもので、
源平盛衰記を題材に、義仲が小矢部市埴生八幡宮で戦勝祈願をした
場面を皮切りとし、物語形式で描かれています。