沖縄県うるま市与那城平安座で生まれ、東屋ケ名で育つ。
中学2年の時にバンドを結成、音楽活動をスタートさせる。この時期にコピーではなくオリジナルで認められてこそ本物だと実感し、高校卒業後に上京し音楽学校へ入学する。
作曲家コース・ギター科で学ぶも当時出会ったストリートロッカーで先輩の「ロッカーが学校で何を学ぶんだ?ストリートの中で人生を学び、そこから這い上がって輝くのがリアルロッカーじゃねえのか?」の一言に感銘し、退学する。
1990年前半、時代はバブル全盛期のバンドブーム。 再びバンド結成し、活動開始。 デビューのチャンスを掴むが、売れ線狙いのプロデューサーと考えが合わず1年で解約。
ブームに嫌気がさし失意の中歩いているとNHKホールの前で足が止まり、手持ちのお金を 握りしめダフ屋から手に入れた中央最前列のチケットで目の前に観たのはニールヤングだった。 アコギとハーモニカでの超絶なロックパフォーマンスに強烈な衝撃を受け、フォーキーロック に目覚める。
翌日にはエレキを売ってアコギとハーモニカを手に入れ、ハート・オブ・ゴールド を探すため、放浪の御旅に出る。
3年後、富山で仕事していた叔父に呼ばれ富山へ。海の上で働きながら富山を拠点にソロで 音楽活動をスタートする。
30代の時に、とあるプロアマ問わないコンテストに出場し、中野督夫さんと出会い意気投合し 交流が始まる。この時2度目のプロデビューのチャンスが訪れるも、まだその時ではないと感じ再び旅へ。 ある時イベントに出演し、ゲストで音楽評論家のピーターバラカン氏の「君のグルーヴはリッチヘブンスのようだ」に感銘し開眼する。オープンチューニングに よる今の自己 スタイルへの確立と多大な影響を受ける。
JD-45、ジュン&ラヴスピリットブラザーズバンド、ハイサイ・ソウル・チャンプルーなどを経て、現在は ジュン&チバリソウルブラザーズなど、ソロ活動を中心にリアルロックミュージックを追求し活動中。
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